2024年7月23日火曜日

#2 我と慢 自分と他人を比較する

 私たちの心の中にはびこる本能、

この一つにまんがあります。
普段私たちは、「我慢がまんをする」とかで使います。

これも実は、仏教の言葉です。

まんは、それぞれ別の意味を持っています。

」というのはわれと書きます。

自我じが、とか普段私たちが「わたし」と言っているものです。
この世の中で、最も大切で、最も愛おしく、
愛されるべき存在だという感覚です。
自分自身を一番大事に思う、この本能を誰もが持っているんです。

しかし、「いやいや私は自分が大嫌いです。」とか、
「一番大事だと思っていないし、それこそ最低で最悪です。」
「それこそ死にたいぐらいです。」と、言う人もいます。

でも実は、これもなんです

私たちは、一番自分が大事だと、
大切だと言うように扱いを受けないとどうなるか、
それは今度は一番下、最も下に自分を置こうとするんです。

一番じゃなかったら最後、というように。

犬や猫や動物たちは、そんなことを思わないです。
このという感覚が無いからです。

赤ちゃんの時も、まだこの「私」というものがないです。
まだ自分の名前もわからないし、私という言葉もわからないです。

それで周りが、お母さんやお父さんが
赤ちゃんの私を「ひで」と、呼ぶ。
すると、それを真似して自分のことを「ひで」と、呼ぶようになります。

そして保育園など、外の世界にいくようになり、
「自分のことを名前で呼ぶのはおかしいよ。」と教えられ、
僕とか、私とかで自分のことを呼ぶようになります。

他の人と区別するために、自分のことを言う特別な言葉として「私」と言う。
そしてそれ以降ず~っと「私自身」を苦しめていくんですね。

私が、私を、とか、私らしく、ですね。
これが「自我じが)」といい、「わたし」であり、
苦しみを生む原因となる「自分じぶん」です

そして、「他人と比較ひかくしてしまいたくなる衝動しょうどうがあります。

この心の動きのことを「まん」といいます。
さらにまんと言っても、3つにわかれます。
私たちは、他の人と出会った時、本当に瞬間的しゅんかんてきこの3つにその人を分類ぶんるいします。

それは、自分より上、自分と同じ、自分より下ですね。
学生時代でも、この子より数学は上とか、
この子と背の高さが同じとか、
野球はこの子よりできないとか、
頭の中で瞬間的しゅんかんてきに、ラベルを貼っていきます。

そんなまんですが、
この気持ち、感覚を弱めようとか無くそうと思うかもしれません。
しかし、最初に言った通りこれは私たちの本能です。
なので、まんくそうと思うことをやめてください。

私たちは何かが欲しいとき、
例えば、新しいiPhoneが出ました。
「あ~iPhoneが欲しいな。」と思います。
しかし、iPhoneは高いです。
高校生だと、中々自分では買えません。
だから親などにねだります。

「誕生日だから買って。」とか、「みんな持ってるよ。」とか。
これはもう頭の中が欲しいもの、
ここではiPhoneにハックされてる状態です。
そこから離れられないんです。

でも逆に、捨てたいと思った時、同じような状態になります

「こんな自分はいやだ。」と卑屈ひくつになって、
他人と比較ひかくして、それなのに少し調子が良いと見下したりする。
そんな自分の思い込みにひたる、
そんな自分の考えがいやだから捨てたいと思う。

そうして思うことで、余計このまんを意識してしまうんです。
なのでどんどん強くなり、これもまた離れられない状況になります。

ここで大事なことは、
このまんが、私たちの中にあるんだということ。

たとえ50歳60歳になってもあります。
だから、これを完全に消し去ろうという
無謀むぼうなチャレンジをしないということです。

その代わりに、自分の中でまんが出てきたときにしっかりと、
「あ、今出てきたな」と気づいていることです。

自分は「今、人と比べてるな」とか、「今見下したな」と気づいている、
まんが出てきたなと。

そしてそれは、自分以外の人にもあるんです。
この社会でもそうです。

学校でも会社でも競争させます。
上手な人を見て、「ああなりたいな。」と練習したり、
同じぐらいの人と競争して、結果的にお互いが向上したりと、
そうやって、教育や会社に応用されてるんです。

ですから、そういう社会の中に私たちがいて、
まんから離れるなんてできません。

「いやいやそこから離れるんだ。」と言って、誰もいない山の中にこもっても、
離れられません。

「今頃あの人なにしてるかな」とか、
「みんなあんなことしてるのに、自分はこんな山の中で」とか
そうやって、離れようとすればするほど
自分の中のまんを意識してしまいます。

だから、みんなで食事をするとき、
「あれ?あの子のいちご、私のより大きいな」とか
「私のスープ少し少ないな」とか、
そんな瞬間に、「あ、今比べてる」って、
「これがか」、「これがまんか」というように。

それを気づかずに食べると、せっかく美味しい料理が
少しだけ美味しさが削られて食べることになります。
あ~もったいないですよね。

0 件のコメント:

コメントを投稿

#2 我と慢 自分と他人を比較する

  私たちの心の中にはびこる本能、 この一つに 我 が と 慢 まん があります。 普段私たちは、「 我慢 がまん をする」とかで使います。 これも実は、仏教の言葉です。 我 が と 慢 まん は、それぞれ別の意味を持っています。 「 我 が 」というのは 我 われ と書きます。...