2024年7月23日火曜日

#1 自己肯定感が低いとか高いとか言う必要がない

 自己肯定感って最近よく聞くと思います。

言い方は、いろいろあります。
自己重要自尊心とかあとは、自分に自信を持つとか。

仏教においては、お釈迦様が弟子たちに対して、
自信を持ちなさいって教えることはないんです。
同じように、「自己肯定感を高めなさい」ということも一度も言ってないです。

「自分自身を徹底的に見つめて、良い心を育んでいく。」
これを目指します。

自分自身を水だととらえて、
その水にはもちろんいろんなものが、成分が、混じっています。

悪いものが多ければ、当然悪い方へ流されます。
だから「浄化」と言ってそれを掬いとる、ではなく、
良いものを、要素を、足していくんです。

だから、「自信を持て、自己肯定感を高めろ。」とは言わないんです。

もし、悪いもので満たされていた人が、
自信や自己肯定感が高かったらどうなりますか?
これは、大変なことですよね。

じゃあどうすればいいの?ってなります。

それは、クリア、明確、明晰、明るさ
つまり、智慧(ちえ)を持つことなんです。

みなさんが旅行などで、知らない土地、町、国へ行くとき、
あるいは、新しい職場に行くとき、
そこへの行き方、乗り物は何がいいか、どんなところなのか、
今はネットが発達しているので、細かく調べます。

自分がまだ、体験や経験したことがないことをする時、
私たちはみんな、不安だと思います。

いろいろ調べることによって、なおさら不安になる、ということもありますが、
全く何も知らないよりは少しましです。

人が未知の領域に足を一歩踏み出す時、これは当然不安です。

だから、そこに行ったことがある人に聞いたり、
ネットで検索したり、マップを観たりします。
すると、最初はわからず暗かったものが、少しずつクリアになる。
明確さが出て来ますよね。

クリアになってくれば、不安は消えなくても、行動はしやすくなります。

だから、自信のない人に「自信を持て。」と、言わないんですよね。
自分が何をすべきかを明確に、クリアにしていくんです。

この先の見えない人生に対して、
その中でもはっきりしてることもあります。

それは人として、大切なこと、人との関係性の上での大切なこと、
これが、先人達が長い時間をかけて、
ってきた「知恵(ちえ)」というものがあります。

嘘をつかないとか、人を傷つけないとか、
これさえ心がければ、新しいコミュニティでもそれなりに上手くやれる。
そういう、明確な、クリアな道しるべというのがありますよね。

私自身、自信があるのかと聞かれたら、それは無いです。

周りにいる、迷いなく一歩を踏み出しているような人も、
まったく不安がないかといったら、それはあるはずです。

でも、見た目には堂々としている、自信まんまんに見える、
それは、不安があるからこそ、しっかり準備をして、練習して、
だめなら仕方ないというところまでやって、それから歩き出しているからです。

全く準備もしないで、練習もしないで、
自己肯定感だけ高めて、何かできますか?
それは、うまくいきますか?

それでも、「自己肯定感を高めよう。」と思ったり、
あるいは、「高めないといけないよ。」と言われたり、
「自信を持たないとだめなんだ。」と、思い込んだりするんですよね。

昔の人はどうでしょう?
ストレスなんて言葉、自己肯定感なんて言葉無かったはずです。
最近作られた言葉ですからね。

自己肯定感を高めるために、講演会を聞いたり、
セミナーなどに参加したりして、高めるために行ってるのに、
高まらないから苦しんだりするんですよね。

不安はある、でも自己肯定感がなくても悲しまない、
それは別に持ってなくてもいいものだからです。
持たなければいけないと、なんかこう思いこまされているからです。

心理学などでも、新しいことがわかってきたと言われます。
でも、それははるか昔からわかっていたことです。

自己肯定感と言っても、
顕在的なもの潜在的なものがあります。

つまり、私たちには顕在意識けんざいいしきと、
潜在意識せんざいいしきがあって、
顕在意識の上で自己肯定感をいくら高めても、
潜在意識では自己肯定感が低いです。

そうすると、普段自信があるように、自信満々に見えるけれど、
本質的には低い、いわば偽物のようですよね。

この私たちの顕在意識潜在意識、どっちが大きいかといったら、
これは潜在意識の方がものすごく大きいです。
この大きさには勝てないです。

だから表面上の自己肯定感を高めても、
自分の本当の自信というところにはならないですね。

たまにそれが高い人いますけど、それは本当になんです。
多くの人たちは、それが低い
でも、それのなにが悪いのか、ということです。

私たちは生きて行くうえでも、ビジネスでも、
大丈夫かなって不安になる。
これは本能なんです。

これは食べられるかなって考えもせず食べたら、
「この事業やろう、ん、コスト?リスク?いいよ、やろう。」なんて、
そんなことしてたら、命も危ないし、会社だってつぶれます。

天気がいい日も悪い日もある。
それが自然。
気分がいい日も悪い日もある。
それが自然。

自己肯定感は高い時も、
低い時もある。それが自然。
自己肯定感は、高くても低くてもいい。

それが高かろうが低かろうが、
明日は来る。
それが高かろうが低かろうが、
今日は二度と来ない。


自己肯定感が高かろうが、低かろうが、
やるべきことに集中する。
なすべきことをなす。

自分に自信を持つこと、これはほぼ不可能です。

何か習い事などで、一つのことができた
その時一時的には自信が持てるでしょう。

でも、周りにはものすごい人がいます。
みんなが知ってるようなすごい人だけじゃなく、自分のすぐ隣にもいます。
だから、そういう人を追いかけてもキリがないんです。

だから、その自信がないから仕事ができませんか?
だから、生きていることが苦しいですか?
周りの中でも一番自信を持っている自分じゃないと
生きて行くのが辛いでしょうか?

これが、肯定感の前についてる自己
つまり、エゴと言います

夏は暑い、冬は寒いんです、そういうもんなんです。
そして、人間は自信がない者たちの集まりなんです。

だから自己肯定感が低いとか、高いとか、言う必要がないんです。

私、私が、私を、私にというエゴ、これから少し離れて、
あなた、あなたが、あなたを、あなたに、へフォーカスを替えるんです。

エゴをずっと見ていても、それはそれは強いですから、大きいですから、
勝てるもんじゃないです、苦しくもなります。

私をあなたに替える、自分が出会う人はすべてあなたです。

今まで私にだったものから、あなたが喜ぶように、
あなたの悲しみがえるように、
あなたのために行動しようとする、
このように、フォーカスを替えてみてください。

自分自身にライトを当てて、自己肯定感が高いとか、低いとか言う。
そんな生き方はずっと苦しいです。

それは一生高くなったりしないからです。

「そんなことないよ、高くなりますよ。」と思われるかもしれません。

だとしたら、あんなにきらびやかに輝いて見える人たちが、
ある日突然、消えたりしないはずです。

多くの人が、あこがれるような芸能人、弁護士や医師、経営者など
自信があって輝いて見える人たちでも、心のうちは、
私たちが見えているようではないんです。

ですからぜひ、本気であなたのために行動してみてください。

返報性へんぽうせい法則というのもあります。
これは人の心の心理です。

自分がしたことは必ず返ってきます。
自分が大事にされたいなら、あなたを大事にする。
そうすると、必ず返ってきます。

自分のためだと考えてしまえば、それはあなたのためじゃなく、
自分のためです。

自分を照らす、ここから離れて、あなたに明かりを灯した時、
必ず見えるものがあります。

これは言って見れば、私の意見ではないです。
この世の真理です。
嘘だと思うならやってみてください。
それは自分で確かめるしかないです。

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